アトラスコンテストへの応募御礼!!&授賞式の模様
(コンテストのオフィシャルサイトはこちら=ウズベキスタン・アトラス ハンディクラフト コンテスト」)
その後、「アトラス・ハンディクラフト・コンテスト、順調に進行中」(1月31日)、アトラスコンテスト関連トピック〜雲の織物アブルバンディ」(2月7日)のあと、時間がたっていました。
この間、説明会などで光沢のあるカラフルなアトラスを入手した手仕事好きの皆様、経験とセンスと工夫で、素晴しい作品づくりにトライしていらっしゃいました!
2月末に応募締切。日本では知られていないアトラスやウズベキスタン、告知から締切までの応募期間の短さ、説明会に出向いて布を購入する手間ひま、初めての取り組みであること、賞金や賞品による引力は少ない、著作権の放棄要請などを考えると、応募数も限られるのでは、とも思われました。
ところが、なんと応募頂いた作品数は、、、295!!
素晴しいです。私がお礼を言うのもおかしいのかもしれませんが、かの地の装飾文化を愛する一人として、応募頂いた皆様にお礼申しあげたい気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
しかも、その作品が、どの一点として手抜きというもののない、素晴しい作品、魅力的な小物やファッションの品、工夫とセンスがあふれる力作、細かい手仕事の美しい作品の数々だったのです。色鮮やかな作品が揃った光景は壮観でした!

嬉しさと同時に、日本って素晴しいんだ、と思いました。最近、そう思うことが多いのです。
仕事がていねい。使い勝手や最適なサイズなど細かいところまで考えられている。ボタンなどの装飾品やちょっとしたアクセントがかわいい。「成熟消費社会」などと言いますが、いいものをたくさん見て来た方々ならでは、だと思います。
独立後20年経つ中央アジアですが、製造業やものづくりは進行形。暮らしのなかの「モノ」も限られています。日本の手仕事好きの皆様の感性や工夫が、今後大きなヒントになっていくのでは、と感じました。
たくさんのヒントをくださった手仕事好きの応募者の皆様、ありがとうございました。
そして、もうひとつ、感謝したいことがあります。「石巻復興支援ネットワーク」の皆様のご尽力で、石巻の女性たちから19作品の応募をいただきました。仮設住宅にお住まいの方もあります。
表現がうまくできないのですが、石巻からの作品は、作風が無垢というか、明るく、のびのびしている点に特徴があると感じました。そのうちの1点(草履)が「つくば市長賞」、もう1点(巾着)が「輝け石巻賞」でした!!おめでとうございます。
3月18日には、つくば市内で「表彰式」が開催されました。最優秀賞、ウズベキスタン大使賞、茨城県知事賞等々、賞状と副賞が送られました。



私もアトラスの魅力をあらためて感じたコンテストでした。皆様ありがとうございました。
火事装束・猩々緋羅紗地波鯉模様&中央アジア衣装

「江戸時代、19世紀/江戸屋敷に住む武家女性もまた、江戸市中でたびたび起こる火事に備え、火事装束を誂えた」(東博説明より)そうです。火事装束という発想がすごい!

頭巾、、最強ですね。「猩々緋と呼ばれる真っ赤な羅紗地に、頭巾には波に千鳥、胸当には波に鯉の模様を刺繍し、水に関連する模様をデザインすることにより縁起を担いだ」。

波に千鳥ですか。まいった!

これが<抱き茗荷紋>でしょうか。紋入りで、、

袴のようなもの?この刺繍もすごいですよ。火事装束と知らなかったら、晴れ着かと思っちゃいますよね。どうして、このように凝ったものに??
東京消防庁の<消防マメ知識・消防雑学事典>によると、火事装束は、明暦の大火(1657年)以降に生まれたもの。革羽織を着ていた侍たちが火の粉に焼ける心配がなかったことが契機となって、火事のときには革羽織を着るようになり、やがては火事羽織と呼ばれる火事装束が誕生することになった、とのことです。
「火事装束は急速に普及し、将軍をはじめ大名の奥方の欠かせない装束としても使われるようになりました」
「女性用のそれは男性用と比べて色彩も華やかで、精巧な刺しゅうが施され、頭巾が烏帽子(えぼし)型をしているのが特色で、奥方の火事装束は、嫁入り道具の必需品とされていました」
嫁入り道具だったんですね。それにしても、火事のとき、とっさにこれを纏うんでしょうか。
というか、非常時の衣装として、このような装飾性は必要なんでしょうか。むしろ、ない方が逃げやすくないですか??機能性を、、、
いやいや、機能性というのは野暮なものなのかもしれません。粋の方が大事。すごい。それって、すごいです。
自分の「非常時セット(リュック)」の中には、機能優先のヤッケや実用的な(捨てても惜しくない)トレーナーが入ってます。とりあえず、自分はこれでいいかな。(^_^;)
日本も日本ですが、中央アジアのカラカルパキスタン(ウズベキスタンの西部)というところにも、カッコいい頭巾付きの衣装があります。ジャーン!

これはYさん宅で拝見したポスター。強烈。アクセサリーが、またすごい。重そうです。あ、これは火事装束ではないですよ。晴れの衣装でしょうね。
Yさんが入手された同じタイプのものも拝見。その部分のアップです。

中央アジア的なくるんくるんした模様。繰り返しがリズミカルです。
冬になって乾燥してきています。暖房機具も使います。火事にはくれぐれも気をつけたいですね!
「東北手仕事」エピソード編 (5) 気仙沼の空に高く揚がれ!「日の出旗」
震災後の報道で、東北の皆様の謙虚で温かい姿に接し、感銘を受け、励まされました。
そして、手仕事はその風土と気質を体現しているのではないか。もっと知りたい!触れたい!学びたい!そんな思いから暗中模索でスタートした手づくりの「東北の手仕事」プロジェクト。
まさか、こんな出会いがあるとは思ってもみませんでした。
天旗。
5月上旬の「東北手仕事旅」、仙台の朝、市場での朝食後、横山英子さん(11日トークのパネラー)のオフィスが、なんとその市場から目と鼻の先と知り、横山さんの超多忙さを知りつつもドヤドヤと朝から訪問してしまったのでした。
そんな私たちを悠然と迎えてくださった横山さん、「今、たまたま連絡があったところ」とたくさんの写真やカラーコピーを出して見せてくださいました。
その大胆で鮮やかな図柄に、一瞬、言葉を失いました。
凧?気仙沼の?創作のもの?伝統のもの?これは何?

西アジア、中央アジアをフィールドとするメンバーには、とくに「日の出凧」の構図が、ある種衝撃でした。
ウズベキスタンのスザニと似ている。元気いっぱいでのびのびしている太陽の図柄。

横山さんから気仙沼凧の会の加藤斉克さんをご紹介頂き、連絡させて頂き、なんと「東北の手仕事」のために貴重な凧を貸して頂けることになったのです!!

気仙沼の天旗について、横山さんから頂いた資料を元に、少々まとめてみました。
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「ふるさとの凧 宮城県 気仙沼の凧」(畠山治氏・『日本凧の会会報 平成7年第1号』より引用、一部要旨)
気仙沼には「日の出凧」「屋号凧」「からげいてんばた」の三つもの伝統凧が残っており、地元の方々によって保存、伝承されている。
<日の出旗>
・日の出凧の絵の原型は、熊谷慶治氏により明治時代に創作されたものである。
・図柄は、家を建てる時の、棟上げの式に収める板絵に描く日の出の絵であるといわれている。
・大正末期には、日の出凧は廃絶されていたものの、昭和44年発行の「日本の凧」に載っていた日の出凧の写真を元に、地元気仙沼の凧師・山浦八郎氏が苦心の末、昭和49年復元した。
・日の出凧の構造は、角凧の一種で、骨は縦5本、横5本、はずかい(斜め骨)2本の12本が使われている。糸目は18糸目である。しっぽは縄を2本つける。
・歴史的にもデザイン的にも、まさに素晴しく、地元の大きな誇りである。永久に伝えられ、作られ、大空に揚げ続けられていてほしい。
<屋号凧>
・明治時代、気仙沼地方では、旧正月の14、15日に、水産加工場や魚問屋などが屋号を染め抜いた
「大正旗」を掲げたのをはじめ、天旗揚げは娯楽の一つとして盛んにおこなわれ、旧正月から春にかけての風物詩になったといわれている。旧正月の厄払いの行事でもあったという。
・明治時代の大角凧には、武者絵が描かれていたそうで、その後武者絵を描く人がいなくなり、屋号印大旗が揚げられるようになったといわれる。
・屋号は、家や店、工場などのシンボルマークであり、一目見ただけで、どこのものかは大体見当がつく。大凧に描いて揚げれば、コマーシャルになったであろうし、その屋号の凧を揚げている家は安泰である、という知らせにもなったであろう。
<からげいてんばた>
・するめ形の凧。からげいとは、魚のエイのことで、地方名である。
・他のするめ形凧にくらべて骨が特徴的。リアス式海岸の特徴である「山おろし」の強風に対応するため、弓骨が急に曲がり、風がよくしなって風を受け流す構造になっている。


加藤さん、どうもありがとうございます。感謝です。展示、責任重大。。
「日の出凧天戦記」の中の言葉、新聞連載よりご紹介。
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「日の出凧天戦記」(加藤斉克・『気仙沼かほく』での1998年の連載より引用)
・いつ、どこで、どんな凧を何枚揚げても、胸の高まりは新しい。凧は人が作るが、それを揚げるのは風の神だ。
・海岸に吹く風ほど、魅力的な風はないと思った。浜に吹く風が、潮の香りをたっぷり含んでいるのはもちろんだが、なんといってもその息は長い。ひたむきだ。気仙沼の空を支配する風神の息づかいは、特にお気に入りの風である。あしたも良い風が吹きますように。
・日の出凧は、どこに出しても決して見劣りしない素晴しい凧である。太陽をデザインしたものは全国で見られるが、日の出凧のように構図にすきがなく、落ち着きと気品を感じさせるものは少ない。
・日の出凧は、潮の香りに満ちた気仙沼港の空に高く揚がっている。今度はどの国の空に揚がるか、今から気持ちが踊っている。

加藤さんは、今も気仙沼で避難所にいる子どもたちに凧作りを教えています。今回のイベントには来場されませんが、手づくりの凧から熱い思いが伝わります。
気仙沼の「天旗」、「東北の手仕事」で高く揚がれ!!
気仙沼の子どもたちが、末永くこの凧の伝統を受け継いでいけますように。
そして、気仙沼の子どもたちに、手づくりの大漁旗をぜひとも贈りたいですね!

*緊急お願い*
◉ 手づくりの小さなプロジェクトです。お金も力もありません。twitter、facebookのアドをお持ちの方、下のそれぞれのマークをクリックしてください。それだけでOK。情報が広がっていくことが、一番のちからになります。
◉ 最初は「ささやかでいい。できる範囲でいい」と思っていました。でも、こぎん刺し、秋田民具、気仙沼の奇跡の大漁旗、気仙沼のスピリットあふれる天旗、、 東北の皆様、手仕事コレクターの方々の心意気に接し、考えが変化してきました。
◉ たくさんの方々に見て頂きたい、見て頂けるように努力する、、今は、そんな責任のようなものを感じています。
「東北手仕事」エピソード編 (4) 知りたい&触れたい「奥州座繰り」の世界
「手織りであれば、繊度ムラや節はむしろあった方が面白い。糸作りをしていて、機械のために作られた糸と手織りに適した糸とでは価値観が違うのだと思いました」と自らのホームページで語る吉田信子さん。
宮城県丸森町に伝わる「奥州座繰り」を継承。仙台にて着尺や帯の制作と染め織りの教室をされながら、繭からの糸作りの技術を次の世代にも伝える活動に尽力されています。

そんな吉田さん、「東北の手仕事」のために仙台から横浜へロングドライブ!「東北の手仕事」に登場!!楽しみですね〜☆
仙台でお会いしてきましたが、座繰りした糸で織った布のようなふんわりとした、しかしきちんとした芯のあるすてきな女性でした。
犬と猫が走り回る工房、ワンちゃんの名前は「とおの」。遠野物語から、だそうです。
「奥州座繰り」の実演も随時見せてくださいます。
11日のトーク「東北の手仕事と風土」では、どんなお話を聞かせてくださるでしょう。
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ところで、、話は後先になりますが、座繰りってどんなもの?
「座繰りは昔から行われていた 糸繰り(いとくり)の方法です。鍋で煮た繭を手回しの小枠(こわく)にゆっくり巻き取る方法で、糸を繰る人の個性が現れた千差万別の糸が作られます。
座繰りには一般的に製糸会社に出荷できないような品質の悪い繭を用います。でも、できた糸は適度に節のある糸になり、この糸を使うことによって、味のある織物を作ることができます。熟練者が手作業で丁寧に行いますので、座繰りの生糸は高価な値段で取り引きされます」(関連ウエブより引用)
このような姿(衣装は違いますよ☆)の実演が見られるかも?!



座繰りといえば上州が有名。何か違いはあるのでしょうか。
「奥州座繰り機は上州座繰り機に比べ動力の伝わり方に遊びがあるので、薄くなって蛹がはずれた繭が糸と一緒に繰られたりすると、空回りしたりベルトがはずれたりします。
つまり細くて節のない糸を作るのに適した座繰り機なのです。 煮繭がうまくいくと手で引き上げたときに自然に少し撚りがかかります。そうして引き出された糸を石に結わえた馬の尻尾の毛の間を通して扁平にするのですが、糸をつぶすことで抱合が良くなるそうです。
その後あげ返しをして、2本あわせて撚りをかけると着尺用の150~200デニールの糸が出来上がります。扁平で節の少ない糸です。
抱合はあまりよくないので撚りをかけなければなりませんが、とてもつやの良い力強い糸ができます」
(吉田さんサイトより)
糸好きの皆さん、「東北の手仕事」にふれてみませんか。
「東北手仕事」エピソード編 (3) 気仙沼から「奇跡の大漁旗」がやってくる!
*「世界の手仕事ウエブ」より引用致します。記事と画像コラージュはYEkekoさんです。YEkekoさんの行動力に心からのありがとう!

今から115年前にも唐桑町を襲った「三陸大津波」、その規模をはるかに超え、気仙沼市に新設合併された唐桑町も壊滅的な津波被災にあいました。
「鮪」が立つと書いてシビタチ、その名前から分かるように、唐桑町上鮪立はもっともマグロ漁業が盛んな港町です。
東日本大震災で漁港は津波に一掃され、陸地が約75cm陥没し、2ヶ月以上たった今も、満潮時には盛り土された陸路が海水に沈むそうです。
あの3.11の、津波から免れた「奇跡の大漁旗」が、6月のハウスクエア・イベントにやってきます。
今回の「東北の手仕事」復興のシンボルにと、上鮪立の漁師さん仲間が送ってくださることになったのです。
そもそも、私と上鮪立のマグロの遠洋漁業の漁師さん達との出会いは、ペルーのリマでした。
リマのカヤオ港に燃料や食糧補給に停泊するマグロ漁船の方々が、日本食に魅かれて現地に住む日本人の友達の家に集まるようになり、私もその家に居候をきめこんでいたので、当時はよく一緒に飲み食べ遊んだものです。
無骨だけどいったん親しくなれば思いっきりイイ笑顔で、マグロの餌の新鮮なイカでワタ和えの作り方など教えてくれました。
その漁船のコック長(現在は陸にあがって漁港で働いてました)、津波の警報に急ぎ車にのって港から山に向かったそうですが、後ろから追いかける津波に巻き込まれ、失神し寒くて気がついた時は翌日の朝、高台に車が乗り上げていて、奇跡的に命が助かったそうです。
コック長と同じ漁船の機関長はコマっちゃんと言って、インカの言葉のケチュア語と同じくらい聞き取れない東北弁で、海の男のロマンを熱く語ってくれてた人です。
そのコマっちゃんと携帯連絡がとれ、知り合いの無事も確認でき、今回のハウスクエアイベントで「東北の手仕事」を応援したい旨の話しをしました。
ついては会場の入口に「大漁旗」を飾りたい、貸してくれる方がいるのだろうかと・・・。
通常「大漁旗」は船に積んであるものだし、港の漁業組合の保管所も流され、上鮪立の大漁旗の大半が、3.11に消失してました。
でも、奇跡の「大漁旗」があったのです、残っていたのです!
コマっちゃんの高台の家のお隣の、漁船オーナーの鈴木さんの家に!
漁にいどむ浜の男の心意気のシンボル「大漁旗」、鈴木さんの会社も倉庫も船も、全部、津波に流されてしまったそうですが、たまたまご自宅に大漁旗をお持ちで、それを快く貸してくださることとなったのです。
4.11、震災から一ヶ月後、ガレキの山から見つかったり、市民から寄せられた大漁旗約30枚を掲げての、市民手づくりの慰霊祭がおこなわれたそうです。
手仕事フェスタの会期中に迎える6.11は震災から三ヶ月後、「奇跡の大漁旗」に祈りをこめて、私たちの「東北の手仕事」バックアップも、スタートします。
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今回の「東北の手仕事」、いろんなご縁を感じています。気仙沼の大漁旗、本日東京着の連絡が入りました。すっごく大きいそうですよ!
下の写真はそのイメージ。世界旅行している大漁旗だそうです。

奇跡の大漁旗、「東北の手仕事」にて奇跡の展示大決定!
「東北手仕事」エピソード編 (2) 驚愕”みの”体験
日本の染織(型染)、細密優美のパワー
初冬の徐々と来木々に人に町に(星野立子)
水霜のかげろふとなる今日の菊(宮沢賢治)
秋風や甲羅をあます膳の蟹(芥川龍之介)
星野立子さんの俳句が好きです。普通の光景をしなやかに切り取る句には、銀塩写真の味わいがあります。デジタルじゃないんです。今では、「古き良き」となってしまったのかもしれない。変化の速度に戸惑うくらいの日々、星野さんの句にいっときのゆっくりした空気を愉しみます。
宮沢賢治、芥川龍之介、夏目漱石、寺山修司など、作家の方々も俳句を作りました。言葉の表現方法、多彩ですね。
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さて本題です。型染の展覧会(文化学園服飾博物館)、見ました。デザインの優美さ、大胆さ、可憐さ、多彩さ、、見応えありました。
「型染は、紙や木などの型を用いて文様を表現する染色技法の一つです。日本では古くから行われ、着物をはじめ、公家服飾、武家服飾、芸能衣裳など多くの服飾に型染が見られます。日本の型染は、主として文様を彫り透かした型紙を用い、種々の染色技法が施されています。型染の種類は実に多様であり、日本の豊かな染織文化の一端が示されています」(展覧会解説より)

「元来、型染は型を用いることによって同じ文様の染色品を量産する技法です。このため、型染には手描きによる自由な文様とは異なり、省略やデフォルメされた文様とパターンの繰り返しなどが見られます。型の使用という制約こそが型染の特徴であり、そこには整然とした文様や反復の諧調など、型染特有の美を見出すことができます。本展では 小 紋・ 中 形・ 型 友 禅・ 摺 染・ 摺 箔・ 板 締・ 燻 革などさまざまな型染の服飾を出品し、日本における型染の多様性と、型染ならではの美しさを紹介いたします」(同)

たとえば、 地色にしか見えないほどの細密な小紋はやさしい色合い。けれども生地から伝わる圧倒的な手間ひま、かけられた時間、そのことに気圧されるようです。美を持って制すということでしょうか。戦のなかった江戸時代ですが、武士の衣装などは、見ただけで負けた、と思わせるようなものもありました。
また、 型の緻密さと、型を作るための道具を作る技術、型を押す技術にも圧倒されました。日本の染織は素晴らしいですね。
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こちら「縞と格子 ー織りから生まれた直線のデザインー」はまだ見ていないのですが、ぜひ行かねば。
南インドの格子サリー、両端の縞の美しいパトラサリー、縞の長衣やマシュルーのスカート、山の民が巻き付けたパトゥ、トルクメンのショール、アフリカのケンテクロス、プレインカの縞のコカ袋などが展示されているそうです。岩立フォークテキスタイルミュージアムにて。2011年2月19日まで(期間中/木・金・土曜日開館)。
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エスニカさん大健闘により「世界の手仕事」WEBも、少しづつリニューアルオープンの装い。またご案内しますね。
日本の工芸、自然と育まれている選択眼
J、現在ちょっと喉にきています。アツアツ生姜紅茶を飲んでいます。
さて現在、「手仕事フェスタ公式サイト」は、エスニカさんの奮闘によりリニューアル中です。
レポートを投稿できる仕組みなので先ほどトライしてみましたが、あえなく撃沈!
どうもMacって、いろんなものと相性が良くないんですよね〜。孤高、、って、違うか!(iPhone売れてメジャー♪) 何が原因だろう(哀)。
手仕事好きのたくさんの愛好者が交代で書く、多方面の話題を楽しめる、そんなWEBになるのではと思います。見えてきたらアドレスをご案内しますね☆
そんなわけで、今回も一人淋しく!?ブログに向かいます。
テーマは、工芸を世界に発信しよう、という青柳正規さん(国立西洋美術館館長)のご意見。
読後、当たり前なのでは?今さら?、、と一瞬思いましたが、ご専門が「古代ギリシア・ローマ専門、考古学者、美術史家」というわけで、そういう方の視点も見てみようかなとアップしてみました。

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「日本のモノ 工芸の裏打ち 〜日本文化の質と技を戦略的に世界に発信」(日経新聞/要旨及び抜粋)
・ロンドンの大英博物館で日本の過去50年の陶磁器や漆芸などを紹介する「わざの美」という展覧会を見たとき、日本の工芸には世界に通じる力があると確信した。
・美術には、独創性、主題、技の3つの要素が必要だが、19世紀の印象派の台頭で創造性と主題だけが重視され、技は二の次になった。
・美術が王侯貴族のものから市民階級のものへと変化する中で手間ひまのかかる質が切り捨てられていった。現代美術が難しくなったのも思想や発想に偏ってきたからではないか。
・その点、数百年にわたり質の高さと技を築きあげてきたことが日本の工芸にとっての独創性になる。その美しさは誰にでもわかりやすい。
・日本がガラパゴスにいることを意識化し、日本の特殊性、世界との共通点をうまく利用して(海外へ)出ていけばいい。
・日本の工芸職人の強みは昔の技術や意匠をただ反復するだけではないこと。
・小さくしたり装飾を洗練させたりして工芸を少しでも現代社会にあったものにしようと現場で工夫を凝らす。
・私たちは茶碗を手に取って使うことで、たなごころに温かく触れる形への高い選別眼が自然と育まれている。
・工芸を海外で紹介することで日本製品に信用を与えることもできるのでは。
・年明けには羽田空港内に国立美術館の別館を作る計画を進めたい。
・19世紀後半ヨーロッパの熱狂的な日本工芸ブームに習いジャポニズム再興運動を進めたい。
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羽田に美術館、それっていいですね。賛成です!
ナイスな工芸をたくさん展示してくださいね。ワークショップなどもぜひ。体験が楽しいんですから。
最後に書いてある「ジャポニズム」について。
先日、森岡正博さんが、ヨーロッパでのアニメやマンガへの熱狂を目の当たりにして、「今こそが、まさにジャポニズム」と書いていました。
「これから再興運動」、なのではなく、まさに今巻き起こっているのだなあと同時代性を感じました。その感性の方が近い気がします。

高い選択眼、というのは、プロジェクトをやっていて感じます。民芸世代も若い人も、見る目がある。ミドル世代はちょっと危うさも?(ブランド好き世代だから?)

次回、記事はどこからアップ? もう、J、あっぷあっぷかも。。!?
和のセンス「季節先取り」、いまむかし
季節感大好き&重視の日本、お盆過ぎくらいから見かけるのが、薄手の生地を使い色は秋らしい落ち着いたものにした「秋色夏素材」。
また以前は、初春前くらいに、暖かい素材で春らしい色や模様の「梅春もの」っていわれる服がありましたね。
私、これって、近年のマーケティングの発想なのだと思ってました。
でも、東京国立博物館でこの帷子と解説を見て、なるほどおと思いました。

「麻地単仕立ての真夏用の帷子/江戸時代、18世紀/白麻地、紅葉、落葉模様/模様は秋の落葉模様。江戸時代中期以降、季節を先取りして涼を誘う趣向として、模様に好まれるようになった」
季節先取り、江戸時代から人気があったようです。日本だね〜、って感心しちゃいました。
現在、「季節商品」で好調なのは、コンビニが昨年より展開時期を1週間早めた「おでん」、なんだそうです。
暑そうと思いますが、夏バテで弱った体、冷たいもの疲れの時期、おでんなら食べやすいのかもしれません。

今年は果実などの秋の味覚もやや高めですが、シルクロードでは甘くてみずみずしい葡萄が今盛り。ウズベキスタン陶器には葡萄がよく似合います。
食の手仕事。なべしき、とちぼた、いもぼた。
最初見た時、頭に浮かんだのは「和同開珎」。(想像力&ボキャブラリーが、、)
青銅器かと思いました。

正解は、、食べ物。餅なんです。その名も「なべしき」。見たまんま。
よもぎ入り。よもぎ色。とことん、よもぎ色。
いろりの上に吊るして保存すると、殺虫効果で長持ちするんだそうです。
水に浸して戻してから焼いて食べるそうです。
私は揚げたものを食べさせてもらいました。よもぎの香りがツーンとして、きな粉と良く合い、とっても美味しかったです。
ここはどこ?福井県池田町です。
有機農業が盛ん。ファームハウス経営や「農村力デザイン大学」「いなかもん学校」などユニークな取り組みが目白押しの、元気な山間地の農村です。
ときどき仕事で(と称して?)訪れているんですが、今回は地区の女性たちの一年分の味噌の仕込みの日程とたまたま合い、見学させてもらいました〜☆ 皆さん、テキパキと行動が早い。チームワークもすばらしい。マニュアルなんてなくても、さくさくと進みます。

麹と圧力鍋で茹でた大豆、塩、さらに大豆の茹で汁(種水。この量が大事のようです。手で様子を見て決定)を混ぜ合わせ、機械で(手で押し込んでいきますが)ミンチ状にしていきます。

それをだんご状に丸め、容器にピシャっと投げていきます。空気を抜くんだとか。
私も投げさせてもらいましたが、ほわ、と、力ない音がしました。おばあちゃんたちはピシッ、ピシッとストライクの山!さすがですわ〜!

昔はもちろん機械もないので、すりつぶしていたそうです。量を考えると大変だ〜。機械は便利。

池田の味噌は私も買って使っていますが、おいしいです。マイルド。豆だけ食べてもおいしいですからね〜。
次の日は、山菜や里芋のお惣菜作り&噂の「ぼたもち」作りを見学。
山菜って保存や戻すなどの準備が大変。ほんとに皆さん、働きもの。

ぜんまいは炒め煮にしますが、大鍋いっぱいのぜんまいの重量はハンパじゃない。
「ジムでけっこう鍛えてるし、最近体力ついてきて」とほざいている私J、なんと一混ぜもできませんでした。ショック、、

残念ながら山菜総菜で役に立てない私、餅のコーナーに向かいます。
栃(とち)餅作りです。栃はものすごく手間がかかるそうです。だから今やとてもとても貴重。
そんな栃を惜しげもなく使います。独特の匂い。なんというか、、濃い木の匂い。

つきたてのアツアツの餅に、これまたアツアツの小豆あんをからめてぼたもちにします。これならJもできます。指についたあんは、あったかくてやさしい甘さ(*^_^*)。
栃餅のぼたもち、「とちぼた」と呼ばれます。
そして次は「いもぼた」作り。いもぼた?
餅米に蒸した里芋(超クリーミー、もうこれは別物!)を加え、すりこぎでつぶします。これに小豆あんをたっぷりからめます。あちあち〜!!小豆もアツアツなので、手が鍛えられます!
里芋が入ることで食感も軽くなり、食べた後ももたれない。ヘルシーなところが今風かな。
もともとは、昔、米が足りないのを芋で補ったのだとか。
つまみ喰いの合間に、Jもシール貼りのお手伝い。たくさんではありませんが、地元のお店にも置いているんですよ。賞味期限やバーコードやロゴや原材料や、、シールの種類が多いところが今ですね。作成含めてかなりの時間がかかります。
今どきの人、とくに若い人は賞味期限に敏感らしいですね。ちょっとくらい過ぎていても食べられるんですけどねえ。即捨ててしまうのも、どうなんでしょうねえ。情報主導、なのかな。

そんなことを考えながら材料を記入していると、「ハイ、ご飯にしよう!」とリーダーの力強い声。「まかない」です。みんなでランチ!
作り立てのお惣菜や持ち寄った各家のおかず、外出時に買ってきためずらしいもの、そして炊きたてご飯。とくに濃厚な大豆のスープが、絶品でした。
バスの時間が来ました。
たくさんのお惣菜や「いもぼた」「とちぼた」までいただいて、とてもうれしかった。
皆さん、どうもありがとう!
山菜の頃に、また行きたいな。
今回は、食の手仕事のお話でした。
